ご報告」カテゴリーアーカイブ

同朋会(どうぼうかい)の動画を公開しました

西来寺では月に一回、同朋会をおこなっています。
講師は親鸞聖人の研究家の佐々木正さん。『歎異抄』についてお話していただきます。

動画は、2024年1月29日におこなわれた講座の一部です。

2回目以降も作成予定です。西来寺チャンネルからご覧ください。


西来寺の同朋会は、どなたでも参加できます
同朋会のスケジュールや詳細はこちらからご覧いただけます。どうぞお越しください。

令和5年報恩講 ご報告

令和5年(2023)10月28日(土曜日)、西来寺にて報恩講が行われました。

暖かな日差しと爽やか風が吹く秋の晴天。
報恩講の開催を知らせる30分前の鐘の音が鳴り響き、勤行が始まる頃には満堂となりました。

今年の講演は薬師寺(奈良県)長老、松久保秀胤師。講演に向け、ベゼクリク寺院の壁画絵を3点、持ってきてくださいました。インド人、ペルシア人、様々な人物が描かれたブッダを囲んでいる構図のものがありました。文化の交易を2世紀にわたり継続したベゼクリク千仏洞の壁画です。
「宗派の異なるもの同士が集い、静かで平安であることが、今、この場所がどれほどよいところであるか」とおっしゃられました。
そして、たっぷり2時間、多くの聴講者のみなさんが松久保長老の世界観に真剣に耳を傾けました。

報恩講当日の写真

報恩講の準備(2023年10月25日 水曜日)

令和4年報恩講 ご報告

令和4年(2022)10月29日(土曜日)、西来寺にて報恩講が行われました。

暖かな日差しと爽やか風が吹く秋の晴天。報恩講の開催を知らせる15分前の鐘の音が鳴り響き、勤行が始まる頃には満堂となりました。

今年の講演は玄照寺(滋賀県)住職、瓜生崇師。西来寺に伝わる「二河白道」を今回の報恩講のチラシに添えたところ、瓜生先生はこの「二河白道」を題材に講演をおこなってくださいました。
熱のこもったお話に、聴講の方々皆吸い込まれるように、真剣な眼差しを瓜生先生に向けられていました。

動画

報恩講に参加できなかった方にも見ていただきたいと、動画を撮影いたしました。どうぞごゆっくりご覧ください。

第2部の瓜生崇 師 御講演は、こちらよりご覧いただけます。

》写真
》次第・表白・御文

二河白道
西来寺所蔵 の「二河白道」

次第・表白・御文

真宗大谷派 大塚山 西來寺 報恩講

日時 令和四年十月二十九日(土)午後一時~午後四時
司会 川嶋俊夫氏

午後一時 開会
●川島幸雄責任役員より開会の辞
●伊藤大信住職代務者より挨拶

午後一時十五分 勤行(おつとめ)

先 総礼
次 表白
次 総礼
次 正信偈 草四句目下(p.31-60)
次 念仏讃 淘三(p.79-88)
和讃 三朝浄土ノ大師等
次第三首
次 回向 願以此功徳(p.88)
次 総礼
次 御文 御正忌

<休憩>

麻衣先生の寺ヨガ体験

●大塚睦子坊守より講師紹介
午後二時十五分 記念講演(おはなし)
講題 「地獄と浄土、どちらへ行きたいですか?」
講師 瓜生崇 師

午後三時五十分
閉会
●伊藤大信住職代務者より閉会の辞
○恩徳讃


大塚山 西來寺 令和四年 報恩講 表白

敬って、大慈大悲の阿弥陀如来の御尊前、ならびに、宗祖親鸞聖人の御影前にて、申し上げます。
本日ここに、有縁参集の人びととともに、御尊前を荘厳し、御聖教を読誦して、宗祖親鸞聖人が還浄されてから満七六〇年、七六一回忌の報恩講を厳修いたします。
思えば、一昨年初頭からの、新型コロナウイルスによる感染症の流行は、長く私たちの生活を脅かし、とりわけ、今を生きる子どもたちの遊びや学業に、大きな制限を加え、悲しませてしまいました。流行病とは言え、人間の浅はかさ、勝手さ、自己中心的な姿が、自他ともにあぶり出された、人知の闇を見る人災でもありました。そして、当山においては、本年は、第二十二世住職大洋院釋充賢、大塚充師の三回忌、第二十一世住職自燈院釋甫圓、大塚甫師の七回忌を迎えています。五年の間に二人を失い、現在は、愚僧が中を継ぐ住職代務者として、及ばずながら辛うじて法灯をおあずかりしています。世は常に動き移ろいでいます。当山有縁のそれぞれも、住職との死別から少しずつ立ち上がり、おのおのに歩み始めております。現今は情勢不安の時代ですが、先人の時代も要因こそ異なれど同じでありましょう。念仏弾圧の時代も、戦国乱世の時代も、やりきれない思いとともに、それでも <ただ念仏> の教えに生きられた宗祖親鸞聖人や無数の念仏者たちがおられるのです。それらの方々を憶念しつつ、ともどもに手を相携えて、報恩講を一同で謹んで厳修することをもって、連続無窮の法灯をみずからがいただき、そして次代に手渡ししていくことの決意といたします。合掌

令和四年十月二十九日
横浜久保山  真宗大谷派 法皇山 西敎寺 副住職
横須賀不入斗 真宗大谷派 大塚山 西來寺 住職代務者
法名 釋大信


『御文』第五帖第十一通「御正忌」 蓮如上人御作
そもそもこの御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもいて、聖人の御まえにまいらんひとのなかにおいて、信心を獲得せしめたるひともあるべし。また不信心のともがらもあるべし。もってのほかの大事なり。そのゆえは、信心を決定せずは、今度の報土の往生は不定なり。されば不信のひとも、すみやかに決定のこころをとるべし。人間は不定のさかいなり。極楽は常住の国なり。されば不定の人間にあらんよりも、常住の極楽をねがうべきものなり。されば当流には、信心のかたをもってさきとせられたる、そのゆえをよくしらずは、いたずらごとなり。いそぎて安心決定して、浄土の往生をねがうべきなり。それ人間に流布してみなひとのこころえたるとおりは、なにの分別もなく、くちにただ称名ばかりをとなえたらば、極楽に往生すべきようにおもえり。それはおおきにおぼつかなき次第なり。他力の信心をとるというも、別のことにはあらず。「南無阿弥陀仏」の六つの字のこころをよくしりたるをもって、信心決定すとはいうなり。そもそも信心の体というは、『経』にいわく「聞其名号 信心歓喜」(大経)といえり。善導のいわく「南無というは帰命、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏というはすなわちその行」(玄義分)といえり。「南無」という二字のこころは、もろもろの雑行をすてて、うたがいなく一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなり。さて「阿弥陀仏」という四つの字のこころは、一心に弥陀を帰命する衆生を、ようもなくたすけたまえるいわれが、すなわち「阿弥陀仏」の四つの字のこころなり。されば南無阿弥陀仏の体をかくのごとくこころえわけたるを、信心をとるとはいうなり。これすなわち他力の信心をよくこころえたる、念仏の行者とはもうすなり。あなかしこ、あなかしこ。

写真

〈報恩講当日〉

〈当日準備〉

令和3年報恩講 ご報告

令和3年(2021)10月28日(木曜日)、西来寺にて報恩講が行われました。

前日の大雨が上がり、清々しい秋の晴天に恵まれ、本堂にもおだやかな風が入ってきます。
梵鐘の鐘の音が響き渡り、午後1時、伊藤大信住職により勤行がおこなわれました。
休憩の後、午後2時からヨガの先生まいさんの指導による座りながらのショートヨガ、そして、午後2時15分、坊守の紹介の後、ひろさちや先生は杖をつきながらゆっくりと本堂に入られ、いつもの笑顔でみなさんにこう言いました。
「今日は人生相談ということで90分間話せと言われているんですが、90分間もつかどうか。まぁ、足腰は弱っていますが、口だけは達者なもんで(笑)」みんなの心配もどこへやらです。それから時間きっちり、ひろ先生の講演のひと時を皆さんといっしょに楽しみました。

新型コロナウイルス感染症の横須賀市の状況は、感染者数が10月中旬から0人か1人を数えるほどになり続けていましたが、本堂に並べる椅子は間隔をあけて配置し、開催中には窓をあけ換気にこころがけました。手指のアルコール消毒や検温などに参加者皆様にもご協力いただきました。

動画

報恩講に参加できなかった方にも見ていただきたいと、動画を撮影しました。

第2部のひろさちや先生の御講演は、こちらよりご覧いただけます。

写真集

〈当日準備〉

〈ひろ先生を横須賀駅にお迎えに〉

〈本堂にて〉

〈令和3年報恩講を終えて〉


〈前日準備のようす〉

令和2年報恩講 ご報告

はじめに
充住職の逝去の際にはコロナ禍の中、たくさんの方々にお詣りいただき、ありがとうございました。
また、あたたかい御言葉やご支援も賜りました。この場を借りて心より御礼申し上げます。

今年は報恩講ができるとはとても思っていませんでした。充住職が一番大切にしていた報恩講が厳修できたのは皆様のお陰です。
本当に有難うございました。 合掌


令和2年10月28日水曜日、晴天。爽やかな秋風が本堂の幕を揺らします。コロナ禍でどのくらいの参加者があるか心配されていましたが、開会の頃には準備した本堂の席はほぼ満席になりました。
午後1時開会、大洋院釋充賢追悼法要をおこないました。
報恩講で充住職の追悼法要をおこなうことは、西来寺住職代務者である伊藤大信住職、たっての希望によるものでした。そして、充住職の御遺影が見守る中、伊藤住職による報恩講の勤行。休憩後の説教では、「本当に尊いこと」をテーマに、お釈迦様の教えを私たちみんなができるだけ解るようにと、ときにはご自身の経験なども例えたりしながら、丁寧にお話ししてくださり、和やかな報恩講となりました。


説教(おはなし)

講題:本当に尊いこと
講師:西来寺住職代務者 伊藤大信(いとう ひろのぶ)

クリックするとチラシがご覧いただけます(PDF 700KB)

音声で説教が聞けます。動画もただいま準備中です。

00:02:00 はじめに
00:04:00 (自己紹介 西来寺と西教寺のつながり)
00:06:30 (真宗大谷派 三浦組)
00:15:30 ほんとうに尊いこと
00:23:30 (阿弥陀)
00:30:30 (南無阿弥陀仏のおしえ)
00:33:00 (諸行無常 命は平等なのか)
00:39:00 (今を生きること)
00:40:00 (真宗のおしえ)
00:45:00 (手を合わせるということ)
00:56:00 現在とこれから 

あわせてご覧ください。
東本願寺真宗会館【公式】のYouTubeチャンネル
本当に尊いこと【お坊さんの話を聞こう】
講師:伊藤大信氏(神奈川県横浜市・西敎寺)


写真

令和元年報恩講 ご報告

令和元年10月28日(月曜日)暖かい日差しが照り、心地のよい秋風が本堂の報恩講幕を揺らします。
今年も本堂は満堂となり、ボランティア運営スタッフの声がけに、聴講の方も席の移動を率先してくれるなどなごやかな雰囲気の中、法要が始まりました。
報恩講のときは内陣の飾りもいつもと違います。赤い打敷、朱蝋燭など、そして大きく美しい生け花。準備に駆けつけてくださった檀家の皆様よって飾り付けをおこないました。

記念講演 ひろさちや氏『お釈迦さまの言ったこと』

ひろ先生から電話がありました。「講演会に椅子を用意しておいてくれる?」とのこと(通常ひろ先生は椅子を使わないのです)。続けて、「2月に脳梗塞をやってまだ半身にマヒが残っているので。」と仰いました。
私は驚きました。先生の声が以前と変わらないように思えたので。
先生は「言語中枢は大丈夫だけど、足にマヒが残っているので妻が一緒に来ます。」とのお答え。車でご自宅までお迎えに行きますと申し出ましたが、電車で大丈夫とのことでした。
も~ 私はそれから心配で心配で。「何かあったらどうしよう。」「講演中にお具合が悪くなったらどうしよう。」「でもみんな楽しみにしているし・・・」と。
西来寺に到着したひろ先生は、杖をついていらっしゃいましたが、顔色はいつも通り元気そうで、側では素敵な奥様が支えていらっしゃいます。
講演会が始まると最初ちょっとゆっくりめで話されていましたが、徐々にいつものひろ先生の調子になっていきました。
年内にあと3冊本を出版予定とのこと。ひろ先生の凄さを実感しました!

合掌
西来寺坊守 大塚睦子

ひろさちや氏 西来寺報恩講2019年

講演より抜粋

お釈迦様がいったことのひとつに、「苦集滅道」という言葉があります。
苦集滅道(くじゅうめつどう)、四諦(したい)といいます。4つの真理ということなんですが、このひとつひとつに込められた、お釈迦様がみなさんに伝えたかったこと、ほんとうに言いたかったことをお話します。

苦 人生は苦しいもの?

生きてるときは楽しいことだっていいことだってあるのに、人間だれでも死ぬんだから苦であると?
はたして、それだけなのでしょうか。煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)、私たちは、悩みを持っているから悟らなければならないと、悩みと悟りを分けて考えてしまいます。悩みも悟りも同じものなんだよと、分別(ふんべつ)しなさんな、と仏教は教えられています。
苦とは、「思うがままにならないこと」ですが、「思うがままにならないことを、思うがままにしようとすること」が苦であるというわけです。

集 苦の原因は欲望?

植物のタネというのは芽が出る直接の原因ですが、土や天気などいろんな環境が適当に重なって発芽します。
因縁(いんねん)の「因」とは、直接の原因のこと、「縁」とは、間接的な原因のことを意味します。この言葉のように、夫婦喧嘩もそうですね。できごとの原因というのはいろんなものごとが集まっています。
「原因なんてわかんないんだよ。わからんことはわからなくていいんだよ」ということなんですね。

滅 欲望を無くせばうまくいく?

風が吹けば花が散るとしましょう。風が吹かなければ花は散りませんか? 風が吹きやめば、花は戻りますか? そんなことはありませんね。原因を滅しなさいということは無理なことなんです。流れる水を流してあげること、調節しなさいということ、少しずつ調節しなさいということ、それが滅なんですね。
「欲望を”ほんのちょっと”少なくしなさい」ということなんです。

道 理想は八正道?

「正」という字はとても困りものです。「正」という字の作り、甲骨文字を見てみると、城壁に囲まれた街を軍隊が征服しようとしています。正しいことは皆さんが思っているほどよいことではないわけです。だから、正しいことにこだわらない方がいいのです。煩悩もあっていいんです。

お釈迦様の言った「苦集滅道」は、みなさんがどういうふうに生きればいいのかということを教えています。
それは、おおきな道ですね。
お釈迦様は星みたいなものです。
星をめざして歩けばいいんです
星に到達できないんですね。ぜったいに悟りなんてひらけない。
「わからないことはわからないとわかることがわかる」それが「悟り」なんですね。
みなさん、人生を「のんびり ゆったり ほどほどに」生きていただきたいと思います。


写真集


準備風景

内陣の飾り

法要 – ヨガ – 講演

終演後

おためし寺ヨガ in 西来寺 本堂

西来寺の寺ヨガ

去る6月28日(金)の同朋会では、後半30分間の時間を利用して、「おためし寺ヨガ」をおこないました。
指導してくださる先生は、ヨガインストラクターの長谷川麻衣さん。小柄で、背筋がすっと伸びた姿勢が印象的。5年間の介護職の経験を活かしてヨガを教えています。

西来寺の寺ヨガ

「テレビでも流行っていて、カルチャーセンターなどでも人気の〈ヨガ〉ですが、ヨガは、スポーツでもフィットネスでもありません。今日おこなうのは、座りながらできる〈チェアヨガ〉といわれているものです。車椅子の方でもできます。」

先生がヨガと出会ったのは、介護の仕事をしていたとき。悲しいこともあり、精神的にも肉体的にも辛かった時期だったそうです。そんな中でのヨガとの出会いは、心がすくわれるようなものだったと言います。

「ヨガで一番大切なのは呼吸です。普段ふつうに使っている呼吸です。呼吸に集中することで、いらないものにとらわれない気持ちになります。執着を手放すことで、日常でも自分を見つめられるようになります。さあ始めましょう。今の自分の状態がどんなかな? と見つめてみましょう。」

本堂の空間に先生の声がしずかに流れていきます。目をつぶって先生の声と自分の呼吸に集中していると不思議と身体が楽になっていきました。帰りのころには、みんなの背筋が伸びているのに気がつきました。そういえば、自分もずいぶん肩がひらいて、あらら? いつもの肩こりはどうした? 体がとても軽くなっていました。

西来寺 本堂での「寺ヨガ」、みなさんもぜひ体験してみてください。

毎月28日は『同朋会』

西来寺では、毎月28日に「同朋会」を行なっています。

同朋会とは、多くの方々に親鸞聖人の教えを聞いたり学んだりしながら、ご縁を結んでいただこうと願い集う交流会です。

みなさん平服でいらっしゃいますが、月に一度の集いですから、お気に入りのセーターとか、ちょっと大きめのイヤリングとか、それぞれキラリとお洒落なものを身につけていたりします。

まず、焼香の香りに包まれた本堂で御本尊にご挨拶をおこない、それから庫裏のお部屋に移り、お茶を飲みながら同朋会のスタートです。

今日の教科書は「正信偈の教え」難しい本のようです。住職が少し読み進め、読み下しをおこないます。

「ちょっと質問いいですか?」早速声があがりました。「梵天ってなんですか?」

住職が本に書かれたことに添いながら、質問に解りやすく説明していきます。
インドの神様の話では弁天さんを、仏教の守り神の話では興福寺の阿修羅像、手塚治虫の漫画の話など、
みんなにとって身近なことを例にあげてのお話に、あちらこちらでひらめきの声や、ときには笑い声も聞こえます。

しばらくまた本を読み進めていくと、
「ではこの、「他力」って?」と、声があがりました。

住職は、「これはとてもよい質問なのですがとても難しいんですね。」と言いながら、
では「他力信心」という言葉で説明していきましょうと、ここでもみんながいつも使っているお金のことや、テレビで流れるサプリメントのCMの話を例にとってお話していきました。
「そういえば思い当たるわー」とみなさんそれぞれに頷いていました。

こんな質問もありました。「阿弥陀様は私の全部を救ってくれる存在だと思っていましたが、阿弥陀様は実在しないのでしょうか?」

同朋会は、身の上の大切なこともみんなの前で気軽にできちゃう雰囲気です。

「実在するお釈迦さまは阿弥陀様の「はたらき」を語りました。阿弥陀様はそのような存在なんですね。
「南無阿弥陀仏」とは「限りない知恵とはたらき」という意味でもあるんですよ。」

西来寺の同朋会は、肩こりをやさしく解きほぐしてくれるような集いでした。

1月28日(月曜日)
この日の同朋会では新年最初ということで、この後時別に、お食事とビンゴゲーム大会がおこなわれました。

平成30年報恩講 ご報告

2018年 10月28日(日曜日)あたたかい日差し、秋の清々しい晴天。
平成30年報恩講、報恩講記念講演には、今年も多くの方がお参りくださり、おかげさまで今年も本堂は満堂となりました。

記念講演 ひろさちや氏『日本の仏教』

ひろ先生はやっぱり90分間立ちっぱなしです。勿論椅子は用意してあるんですが。ひろ先生に「疲れませんか?」と伺ったところ、「立っていた方が頭の回転が速くなるから」とのことでした。そういえば、五木寛之先生も90分間立ちっぱなしでした。五木先生にお伺いしたところ、先生は「足腰の鍛錬のため」と仰いました。う~ん、すごい人たちはやっぱりすごい・・・と、思い知らされる今日この頃です。

合掌
西来寺坊守 大塚睦子

ひろさちや平成30年ん報恩講西来寺

〈要約〉講演より抜粋

日本で一番有名な仏教者といえば聖徳太子だと思うんですね。その聖徳太子が日本に仏教を確立した初めての人だと思います。
彼が何言ったかというと簡単なんです。「世間虚仮 唯仏是真(せけんこけ ゆいぶつぜしん)」世間は嘘偽りなんだ、ただ仏だけが真実なんだ。と、このことを言ったんです。これが聖徳太子だと思ってください。
まぁ考えてみれば世間というのはおかしいものだと思います。皆さんも経験あるでしょう、人に対して良かれと思ってやったことが悪いことになったり、悪いと思っていることが良くなったりね。だから世間をそんなに信用するなってことです。
皆さんは世間のことを、あまりにも信用しすぎているんですよね。そんなに世間を信用したらいかんよって聖徳太子は教えたわけです。

聖徳太子の後、平安時代になると二人の立派な仏教者が出てきます。それが最澄と空海ですね。
「あなた方は仏の子でありなさい」と言ったのが最澄です。
そして、空海はどういう風に教えたかというと「世の中の人は全ての人が仏さんなんだと思いなさい」というような事を言ったんです。これが最澄と空海の教えなんですね。仏教って簡単でしょ。
その次に法然上人、親鸞聖人、道元禅師が出てきます。私はこの5人が世界的に通用する凄い仏教者だったと思うんです。(中略)

親鸞聖人は日本の仏教者として最初に結婚した人なんです。親鸞聖人の結婚生活の考えってなんだったんだろうと思うと「私も不完全、あなたも不完全、ともに不完全な人間が助け合って生きていく」ということだったんじゃないかと思うんですね。それが本当の夫婦のあり方、念仏者の在り方じゃないかと思うんです。そういう生き方をできるのが日本の仏教者だと私は思っているんです。

宗教っていうのは完全な人間を目指せと教えてないんです。完全なのは仏様だけで我々人間である限り出来損ないですよね。その出来損ないであることを許しあって生きる。それがお念仏者の姿なんだと思っていただきたいんです。私たちは不完全なんだと、不完全なもの同士、不完全なまま、悪人のまま、助け合って、許し合って生きていけばいいんです。


写真集

時間をさかのぼってご覧ください。

報恩講を終えて

ひろさちや先生の講演

ひろさちや先生講演 平成30年報恩講 西来寺

報恩講法要のときの風景

ひろさちや先生おむかえ

開催直前風景

当日準備風景

前日準備

佐々木正先生の講演会『浄土真宗はじめの一歩』報告

佐々木正先生

去る8月4日に『浄土真宗はじめの一歩』を開催いたしました。
この講座は日頃行っている勉強会とは視点を変えて「仏教は難しい」「お寺は近づきにくい」と思っている方に向けて内容を考えた入門講座として開催しました。

最初に西来寺坊守が先生役になり、お念珠の正しい持ち方を皆さんに説明いたしました。
「輪の中に両手を通し、親指と人差し指で挟むように持ち、房が下に来るように持つ」のが基本です。
「はじめて知った」「何度聞いても忘れちゃう」という感想が聞かれました。知っているようで自信がない方が多かったようです。改めて教わる機会が無いですものね。

次に皆さんで『正信偈』を唱和しました。
最初は家で声に出して『正信偈』をよむのは、なかなか難しいかもしれませんが、真宗門徒の基本として大切なお経です。お寺に門徒さんが集まった時に、親しんでいって頂きたいと願っております。

続けてお内仏の説明を住職が致しました。
お内仏にはどんなものを置くか、いつ開け閉めするか、鈴はいつ鳴らすのか等、お内仏の基礎的なことをお話ししました。「お位牌はどこに置くのが正解ですか?」など参加した方から活発に質問もあり、勘違いしていたこと、知らなかったことがたくさんあったようです。ちなみに真宗ではお位牌の代わりに過去帳を使います。
お内仏については今後も講座を開催したいと思っております。

後半は佐々木正先生にご講義頂きました。
講演始まってひと言目に「皆さんお昼も過ぎて、眠たくなってくる時間ですから、そんな時はどうぞ眠ってください。仏法は毛穴から染み込むというので、毛穴を信じてどうぞ眠ってください」という佐々木先生のおおらかな空気にリラックスしてお話を聞ける時間となりました。
内容は仏教の始まり、お釈迦様の出家の話から、大乗仏教が始まる歴史、聖徳太子、法然上人、親鸞聖人の話、浄土真宗の話、様々な話をお話ししてくださいました。
講義をきっかけにこれから少しでも興味を持っていただければ嬉しく思います。

今回は浄土真宗はじめの一歩として開催しましたが、また二歩、三歩と歩んでいけたらと思っておりますので、またその機会がありましたらご参詣ください。