令和4年報恩講 ご報告

令和4年(2022)10月29日(土曜日)、西来寺にて報恩講が行われました。

暖かな日差しと爽やか風が吹く秋の晴天。報恩講の開催を知らせる15分前の鐘の音が鳴り響き、勤行が始まる頃には満堂となりました。

今年の講演は玄照寺(滋賀県)住職、瓜生崇師。西来寺に伝わる「二河白道」を今回の報恩講のチラシに添えたところ、瓜生先生はこの「二河白道」を題材に講演をおこなってくださいました。
熱のこもったお話に、聴講の方々皆吸い込まれるように、真剣な眼差しを瓜生先生に向けられていました。

動画

報恩講に参加できなかった方にも見ていただきたいと、動画を撮影いたしました。どうぞごゆっくりご覧ください。

第2部の瓜生崇 師 御講演は、こちらよりご覧いただけます。

》写真
》次第・表白・御文

二河白道
西来寺所蔵 の「二河白道」

次第・表白・御文

真宗大谷派 大塚山 西來寺 報恩講

日時 令和四年十月二十九日(土)午後一時~午後四時
司会 川嶋俊夫氏

午後一時 開会
●川島幸雄責任役員より開会の辞
●伊藤大信住職代務者より挨拶

午後一時十五分 勤行(おつとめ)

先 総礼
次 表白
次 総礼
次 正信偈 草四句目下(p.31-60)
次 念仏讃 淘三(p.79-88)
和讃 三朝浄土ノ大師等
次第三首
次 回向 願以此功徳(p.88)
次 総礼
次 御文 御正忌

<休憩>

麻衣先生の寺ヨガ体験

●大塚睦子坊守より講師紹介
午後二時十五分 記念講演(おはなし)
講題 「地獄と浄土、どちらへ行きたいですか?」
講師 瓜生崇 師

午後三時五十分
閉会
●伊藤大信住職代務者より閉会の辞
○恩徳讃


大塚山 西來寺 令和四年 報恩講 表白

敬って、大慈大悲の阿弥陀如来の御尊前、ならびに、宗祖親鸞聖人の御影前にて、申し上げます。
本日ここに、有縁参集の人びととともに、御尊前を荘厳し、御聖教を読誦して、宗祖親鸞聖人が還浄されてから満七六〇年、七六一回忌の報恩講を厳修いたします。
思えば、一昨年初頭からの、新型コロナウイルスによる感染症の流行は、長く私たちの生活を脅かし、とりわけ、今を生きる子どもたちの遊びや学業に、大きな制限を加え、悲しませてしまいました。流行病とは言え、人間の浅はかさ、勝手さ、自己中心的な姿が、自他ともにあぶり出された、人知の闇を見る人災でもありました。そして、当山においては、本年は、第二十二世住職大洋院釋充賢、大塚充師の三回忌、第二十一世住職自燈院釋甫圓、大塚甫師の七回忌を迎えています。五年の間に二人を失い、現在は、愚僧が中を継ぐ住職代務者として、及ばずながら辛うじて法灯をおあずかりしています。世は常に動き移ろいでいます。当山有縁のそれぞれも、住職との死別から少しずつ立ち上がり、おのおのに歩み始めております。現今は情勢不安の時代ですが、先人の時代も要因こそ異なれど同じでありましょう。念仏弾圧の時代も、戦国乱世の時代も、やりきれない思いとともに、それでも <ただ念仏> の教えに生きられた宗祖親鸞聖人や無数の念仏者たちがおられるのです。それらの方々を憶念しつつ、ともどもに手を相携えて、報恩講を一同で謹んで厳修することをもって、連続無窮の法灯をみずからがいただき、そして次代に手渡ししていくことの決意といたします。合掌

令和四年十月二十九日
横浜久保山  真宗大谷派 法皇山 西敎寺 副住職
横須賀不入斗 真宗大谷派 大塚山 西來寺 住職代務者
法名 釋大信


『御文』第五帖第十一通「御正忌」 蓮如上人御作
そもそもこの御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもいて、聖人の御まえにまいらんひとのなかにおいて、信心を獲得せしめたるひともあるべし。また不信心のともがらもあるべし。もってのほかの大事なり。そのゆえは、信心を決定せずは、今度の報土の往生は不定なり。されば不信のひとも、すみやかに決定のこころをとるべし。人間は不定のさかいなり。極楽は常住の国なり。されば不定の人間にあらんよりも、常住の極楽をねがうべきものなり。されば当流には、信心のかたをもってさきとせられたる、そのゆえをよくしらずは、いたずらごとなり。いそぎて安心決定して、浄土の往生をねがうべきなり。それ人間に流布してみなひとのこころえたるとおりは、なにの分別もなく、くちにただ称名ばかりをとなえたらば、極楽に往生すべきようにおもえり。それはおおきにおぼつかなき次第なり。他力の信心をとるというも、別のことにはあらず。「南無阿弥陀仏」の六つの字のこころをよくしりたるをもって、信心決定すとはいうなり。そもそも信心の体というは、『経』にいわく「聞其名号 信心歓喜」(大経)といえり。善導のいわく「南無というは帰命、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏というはすなわちその行」(玄義分)といえり。「南無」という二字のこころは、もろもろの雑行をすてて、うたがいなく一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなり。さて「阿弥陀仏」という四つの字のこころは、一心に弥陀を帰命する衆生を、ようもなくたすけたまえるいわれが、すなわち「阿弥陀仏」の四つの字のこころなり。されば南無阿弥陀仏の体をかくのごとくこころえわけたるを、信心をとるとはいうなり。これすなわち他力の信心をよくこころえたる、念仏の行者とはもうすなり。あなかしこ、あなかしこ。

写真

〈報恩講当日〉

〈当日準備〉