皆さんも見たことがあると思う西来寺の山門側にある48願道の石碑。これはあたり湯の先々代のご主人達金太郎さん寄贈のものです。金太郎さんは、西来寺の勉強会「正信講」(今の同朋会)をやっていた中心人物だったといいます。
インタビューに答えてくださったのは金太郎さんのお孫さんで現在の女将さん、達京子さんです。
「お湯は薪で沸かしていて、朝の9時から沸かしはじめて、3・4時間かかります。お湯の温度は日によって色々です。いつも同じように涌かすのでそのままの温度。例えば冬の寒い日に体が冷え切った男の人が一気に4人入ると、男湯はぬるくなっちゃいます。そうすると自動でカマが涌かすので、しばらくすれば温かくなるのですが、今度は女の湯の方は熱くなりすぎたりしちゃって。だから入る時によって熱かったりぬるかったり、うちは色々なんですよ。熱いぬるいとお湯のトラブルがありますが、お客さん同士で解決してくれます。常連さんが新しいお客さんに教えてあげたり、時には叱ってくれたり」
ちなみに、京子さんが仲裁するときは「ここにはお湯しかないんだから、止めましょうよ」と言って止めるそうです。京子さんのお人柄が現れている他の人には言えない素敵な言葉だと感じました。
「薪で沸かしているので、午前中は薪取りに行っています。銭湯の仕事って、番台で座ってるだけで楽で良いねとお客さんにからかわれたりするけど、実は大変なんですよ。昔と違って今はダイオキシンの問題があったり、色々と細かいことがあるので薪を燃すノも大変です。一本ずつ釘を手で抜いておいたり、ペンキがついているものはダメなので手で選別したりします。気圧によって煙は下がるので、ご近所の人に迷惑にならないように気をつけます。昔なじみの人は銭湯の煙になれているので良いのですが、新しく住み始めた人には嫌がられたりしてしまうこともありますから」
つい、目に見えるところだけで楽そうだなぁと思ってしまいがちですが、薪でお風呂を沸かすというのは、考えてみれば重労働です。昔のように山に行ったら木がいくらでも取れるという時代ではない。解体するお家にいって木材を貰って、それを使えるように一本ずつ分別して。時代の移り変わりによって、銭湯の仕事はより大変になっていることを知りました。
「東日本大震災の後、銭湯の役割が見直されている面があります。それと銭湯と社会の関わりで言うと、やっぱり人のつながりを作る場になっていることは感じています。いつもお風呂で会う○○さんが来ていないから、ちょっと見に行ってみようというお客さん同士のつながりがあります。いつもとお風呂の入り方が違うから調子悪いんじゃないか?とお互いにすぐに分かったりもするみたいで、そういう結びつきは銭湯ならではかもしれません」
銭湯のような場所がなくなっていっていることは、高齢者の孤独という社会問題とも繋がっている面がありそうです。
「あたり湯は200年以上この場所でやっていて、記録に残っているのは昭和6年の改築以降です。今の内装は、その時のままのところが多くて、おじいちゃんの手作りのものが沢山あります。天井は一度台風で飛んでしまった時の修理で、ちょっと昔より低くなっているんですよ。昔は窓がもう一段あったんです。お風呂の富士山が女湯にあるのは、実は珍しいそうで、絵師さんに初めてですと言われました。男湯に富士山を描くのが一般的なんですよね。男湯の絵では、ニワトリとヒヨコが描いてありますが、これは絵師さんに頼んで描いてもらいました。なんかさみしいかなと思ったので、お願いしたんです」
あたり湯を眺めてみると、気になるモノがあちらこちらにあります。なんで庭に露天風呂っぽい池があるの?とか、なんでお風呂に岩があってそこに人形があるの?とか。
「お相撲さんが来たこともあります。横綱、大関だけは男湯で、後はみんな女湯に入るんです。小錦さんが入ったとき、お風呂のお湯が半分くらい溢れて、脱衣所の中程までざーっと流れてきて、風呂桶も全部ながれてきたことを覚えています。実は男湯のおトイレの扉は小錦さんでも入れるような特注サイズなんですよ。脱衣所の床も、昔は桧だったんですが、お相撲さんが一度に300人も来るというのでコンパネをいれました。抜けちゃいますから」
今では、賄いきれなくなったので、横須賀場所があるときでもお風呂を使ってもらうのは断っているそうです。お相撲さんが来てくれたことをとても楽しそうに話しているのが印象的で、他にも書き切れないほど多くのエピソードを聞かせてくれました。
「本当は3年前に閉店したかったんです。横須賀には風呂釜屋さんがないので、風呂釜を修理するのが難しいです。今は川崎の風呂釜屋さんにお願いしていますが、自分が設計したものではないカマは全体を把握できないので難しいそうです。あと5年10年と続けなきゃねと話してはいますが、残すのも大変です。お客さんは新しいキレイなビルにしてほしいわけではなくて、いまのままのあたり湯を残して欲しいと思ってくれているんです。釜屋さんの様な技術的な面、法律など政治的な面、いろんな面で今のままこのままを残すことが難しくなっています。高校生の息子が、あたり湯を残さなきゃいけない気がすると言ってくれたりするんですけど、残すことって本当に難しいんだよ、と話しました。」
「嬉しいのは昔きていたお客さんが、横須賀にかえってきた時に自分の子供や孫をつれてきてくれることです。昔から変わらなくて嬉しいと言ってもらえると、本当に嬉しくなります。昔横須賀に住んでいたけれど、今では横浜や東京に住んでいて、たまに横須賀にかえってきても自分の子供の頃とは町並みが違いますから、子供の頃と変わらない場所があるとほっとすると言ってもらえます」
古いモノは良いとか、残すべきだと外から言うのは簡単で、気持ちだけではどうにもならない事情でお店を閉めることになるのだと思い知りました。そんな事情を聞いても、それでも残して欲しいと我が儘を思ってしまうのが、私達客です。今日お話しを聞いて、やっぱりあたり湯さんが出来るだけ長く営業していて欲しいなと思ってしまいました。
あたり湯では、お湯で体を温めて、京子さんの人情で心も暖めてきたのだろうと思います。すてきな時間をありがとうございました。