慰問袋の少女はいずこに
あの大戦後67年を経て、僕の見た「奇跡のような正夢」のこと
飯塚 惠一
「飯塚さん、ひょっとして、この写真の方をご存知ありませんか?」と西来寺 ( 飯塚家の菩提寺)の若いお内儀から僕が手渡されたのは平成21年9月21日、お彼岸の中日のことでした。(中略)僕は記憶をたどってみても、もちろんこの少女に会ったことはないし、写真で見た記憶もありません。ただ何とはなしに、そのお名前と「安浦」 という住所から推察して、我が家の遠い親戚に当たる人ではないか、と思われたのです。 (本文より抜粋)
平成28年(2016年)8月15日発行
著者 飯塚 惠一
写真(重箱海岸 安浦港)今井 雅洋
A5版/24ページ
発行 西来寺
新聞で「慰問袋の少女」の記事を見た瞬間、《飯塚恵一さん》のお名前が私の頭に閃きました。多分、その少女の写真の頬に面影を感じたのだと思います。
そして平成二十一年九月二十一日、お彼岸のお中日にお参りにいらしていた飯塚さんに新聞記事を手渡しました。この瞬間に物語は動き始めました、加速度を付けて。たくさんの不思議なつながりによって(まず七年前の年賀状を取って置いて、且つその差出人を覚えている奥様がすごすぎる!)、糸がたぐり寄せられていきます。
私はこのたくさんの不思議なつながりは「この物語は人に伝えるべきものです」と言っているように思えて仕方がありません。それがこの冊子を作成する運びとなり、今日皆様に送らせて頂いた理由です。
先日『シリア・モナムール』という映画を見ました。爆撃音が鳴り響き、街が瓦礫と化した中、子供達は一輪の花にほほえむ。一方(今のところ)戦争がないこの日本では、子供達が戦争ゲームに興じています。
そんな今だからこそこの物語を読んで思い出して欲しいと思います。つい先頃の第二次世界大戦のさなか、失われていったであろうひとつひとつの命がいかに愛しかったかを。そしてその命は今を生きる私たちの肩に触れるすぐそこにあることを。
この本にかかわった全ての方々に感謝を込めて。
二〇一六年九月十五日
合掌
西来寺