ご挨拶
西来寺は弘仁年間(八二〇〜八二四)に一乗寺という天台宗の寺として創建されました。
それ以来、親鸞聖人関東より御帰洛のとき、小田原市国府津に立ち寄られ、時の住職乗頓、聖人の話を聞き、これぞ末法相応の仏法として宗旨がえを致し、寺名を西来寺と改めました。
時下って戦国時代、各地で起こった一向一揆を恐れた相模国領主北条氏は領内に一向宗の寺院のあることを許さず、時の住職頓乗はやむを得ず一時京都に移りました。
北条氏滅亡の後、今の場所に戻り、江戸時代初期に東西本願寺分派の際、東本願寺に帰属し、現在に至ってます。
しかしながら、西来寺は近年二度の火災に遭い、残念なことに古い文献を焼失してしまいました。
2012年10月28日、親鸞聖人七五〇回忌及び西来寺千二百年法要を記念として、上杉孝良氏ならびに真鍋淳哉氏のご協力により、寺史を編纂「西来寺誌」を刊行いたしました。
資料が少ない中、両氏は江戸時代に書写された『相州文書』や昭和に入って川島庄太郎氏の残した寺史、さらに境内の石造物などにより考察をかさねて頂き、両氏のご尽力によって、西来寺誌にまとめ上げて頂きました。是非ご高覧ください。
西来寺ブログ:西来寺誌
また2011年10月11日、御門徒の皆様のご協力によって、本堂庫裡の改修ならび渡り廊下の造成が出来ましたことを深く御礼申し上げます。
西来寺ブログ:客殿庫裏の改修工事 2011年10月竣工
概要
所在地 | 神奈川県 横須賀市 不入斗町 3丁目38番 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 真宗 大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来立像 |
宗祖 | 親鸞聖人 |
本山 | 東本願寺 |
山・寺号 | 大塚山 西来寺 |
敷地面積 | *** |
年表
弘仁年間 | 八一〇〜二四 |
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寛元四年 | 一二四六 |
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弘安十年 | 一二八七 |
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延元元年 | 一三三六 |
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応永二十八年 | 一四二一 |
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文明十四年 | 一四八二 |
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享禄四年 | 一五三一 |
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永禄九年 | 一五六六 |
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天正十八年 | 一五九〇 |
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文禄二年 | 一五九三 |
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元和四年 | 一六一八 |
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元和八年 | 一六二二 |
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明暦三年 | 一六五七 |
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延宝六年 | 一六八七 |
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元禄三年 | 一六九〇 |
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元禄九年 | 一六九六 |
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宝永六年 | 一七〇九 |
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宝暦六年 | 一七五六 |
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宝暦十年 | 一七六〇 |
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寛政九年 | 一七九七 |
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嘉永四年 | 一八五一 |
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安政六年 | 一八五九 |
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万延元年 | 一八六〇 |
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慶応三年 | 一八六七 |
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明治元年 | 一八六八 |
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明治三年 | 一八七〇 |
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明治六年 | 一八七三 |
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明治九年 | 一八七六 |
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明治十年 | 一八七七 |
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明治十一年 | 一八七八 |
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明治十二年 | 一八七九 |
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明治十八年 | 一八八五 |
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明治二十一年 | 一八八八 |
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明治二十三年 | 一八九〇 |
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明治二十八年 | 一八九五 |
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明治二十九年 | 一八九六 |
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明治三十二年 | 一八九九 |
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明治三十五年 | 一九〇二 |
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明治三十七年 | 一九〇四 |
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明治三十八年 | 一九〇五 |
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大正八年 | 一九一九 |
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大正十一年 | 一九二二 |
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大正十二年 | 一九二三 |
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大正十五年 | 一九二六 |
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昭和三年 | 一九二八 |
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昭和四年 | 一九二九 |
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昭和五年 | 一九三〇 |
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昭和七年 | 一九三二 |
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昭和八年 | 一九三三 |
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昭和十八年 | 一九四三 |
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昭和二十四年 | 一九四九 |
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昭和二十六年 | 一九五一 |
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昭和二十七年 | 一九五二 |
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昭和二十九年 | 一九五四 |
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昭和三十五年 | 一九六〇 |
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昭和四十二年 | 一九六七 |
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昭和四十三年 | 一九六八 |
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昭和四十五年 | 一九七〇 |
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昭和五十二年 | 一九七七 |
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昭和五十四年 | 一九七九 |
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平成元年 | 一九八九 |
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平成二年 | 一九九〇 |
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平成八年 | 一九九六 |
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平成十二年 | 二〇〇〇 |
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平成十三年 | 二〇〇一 |
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平成二十四年 | 二〇一二 |
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平成二十八年 | 二〇一六 |
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