令和6年3月28日におこなわれた同朋会の資料です。
(講演のもようは、Youtube動画にて、近日公開いたします)
西来寺 同朋会の資料 (2024年3月28日)
佐々木 正
親鸞の思想と行動の背景 法然思想
「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべしと、よきひとのおおせをこうむりて、信じるほかに別の子細なきなり」
法然上人の生涯と思想・行動
1
法然上人 【父親の遺言】 (九歳)
「汝、決してかたきを怨んではならぬ。これひとえに前世の宿業である。もし、憎み殺せば、敵の子もまた汝を討つことになり、世々生々に殺し合いは尽きることがない。早く俗をのがれて我が菩提をとむらい、みずからの解脱の道を求めよ。 (「法然四十八巻伝」= 下 「伝記」)
2
上人のたまわく、学問ははじめて見たつるは、きわめて大事なり、師の説を伝習するはやすきなり。 (伝記)
3
ミテ知リソ 知リテナ見ソ (民芸運動を起した柳宗悦の言葉)
4
ヒラカレツルニ タタクトハ (民芸運動を起した柳宗悦の言葉)
5
昔から「後学畏 (おそ) るべし」と言って、学者は先達といって優れているとは限らない。 (略) 釈迦の没後、五百年に作った説が、九百年後に世親 (天親)に論破されたことがある。教義の是非を論じるときは、昔の説だといっておそれる必要はない。 (伝記)
6
大原にして、聖道・浄土の論談ありしに、法門は牛(互)角なりしかども、機根比べには源空かちたりき。聖道門はふかしといえども、時すぎぬればいまの機にかなわず。浄土門は浅きに似たれども、当根にかないやすきといいしとき「末法万年にして余教悉く減し、弥陀の一教のみ利物偏増す」の道理におれて、人みな心伏しきとぞおおせられける。(伝記)
7
上人はあるとき次のように言った。「私が浄土宗を開宗したのは、凡夫の浄土往生を示すためである。 天台宗は凡夫の往生を許しているが、浄土の内容が明らかではない。法相宗は浄土の内容を詳しく解明するが、凡夫の往生を許していない。それ以外のさまざまな宗旨も、凡夫往生を認めていない。そのため善導の釈義 (観経疏) により浄土宗を立てたことで、はじめて凡夫の浄土往生が明らかになったのである。(伝記)
8
念仏は易きがゆえに一切に通ず。諸行は難きがゆえに諸機に通じぜず。しかればすなわち一切衆生をして平等に往生せしめんがために、難を捨てて易を取りて本願としたまうか。(略)それもし造像起塔をもって本願とせば、貧窮困窮の類は定んで往生の望みを絶たん。しかるに富貴の者は少なく、貧窮の者は甚だ多し。もし智恵高才をもって本願とせば、愚鈍下智の者は、定んで往生の望みを絶たん。しかも (略)・・・。もし多聞多見をもって(略)…。もし持戒持律をもって(略)…もし持戒持律をもって (略)・・・。自余の諸行、これに準じてまさに知るべし。まさに知るべし。上の諸行をもって本願とせば、往生を得る者は少なく、往生せざる者は多からん。 (伝記)
9
故法然上人は「浄土宗のひとは愚者となりて往生す」と候しことを、たしかにうけたまわり候しうえに、ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるをご覧じては、往生必定すべしとてえ(笑) ませたまいしをみまいらせ候いき。文沙汰して、さかさかしきひとのまいりたるをば、往生はいかがあらんずらんと、たしかにうけたまわりき。いまにいたるまでおもいあわせられ候うなり。 (親鸞八十八才の書簡 「末灯抄」
10
熊谷直実 (蓮生房)の発心のケース
11
正如房 (式子内親王)との接点
12
津戸三郎の疑念⇒愚痴・十悪の呼称 (智恵第一の法然房からの転換)